辞書には載っていないものの頻繁に見聞きする「固定概念」という語句について、感じたことや考えたことを書きます。
結論を先に述べますと、「固定概念」は「固定観念」「ステレオタイプ」などに改めることが望ましいというのが筆者の見解です。
「固定観念」の意味
「固定概念」は辞書に載っていません。載っているのは「固定観念」です。「観念」と「概念」が似ているため、混同されがちなのでしょうか。
「固定観念」は、周囲の意見や状況によって変化することのない、凝り固まった考えのことです。類語として「先入観」「思い込み」などが挙げられます。
「観念」と「概念」の違い
- 観念…ものごとに対する個人の認識や考え
- 概念…ものごとの包括的な意味内容
ここで「概念」を説明するのが難しいということに気づきました。諦めずに、例として「猫の概念」と「猫の観念」の違いを取り上げてみます。
猫の概念
私たちが猫を見て──それがキジトラであろうと三毛であろうと、成猫(せいびょう)であろうと子猫であろうと、あるいは写真やイラストであったとしても──猫であるとわかるのは、猫の概念を理解しているからです。
概念というのは、普遍的な性質・特徴をさします。
猫の観念
概念が普遍的であるのに対して、観念は個人に属するものです。筆者が猫に抱いている観念は「あたたかい」「やわらかい」「いいにおい」などですが、「冷淡」「ミステリアス」という人も、「庭を荒らす害獣」という人もいるでしょう。
これで、「固定概念」より「固定観念」のほうが意味に沿った表現であるとわかりますね。固定観念は、個人の意識に刷り込まれたものだからです。
「固定概念」を使わない理由
相手の理解を助けることば選びを
ただの言い間違いではなく、「『固定観念』とは別の意味を込めて、あえて『固定概念』を使いたいんだ」という場面を想定してみましょう。個々人の固定観念が社会に共有され、いっそう強固になり、ひとつの「固定概念」をなす……そんなイメージです。仮定の話ですが。
その場合は、「固定概念」を「ステレオタイプ」に置き換えることができます(ステレオタイプとは、多くの人に浸透している固定観念のことです)。したがって、「固定概念」を使う必要を筆者は感じません。
たとえ書き手・話し手が「固定概念」を「固定観念」と明確に区別していたとしても、読み手・聞き手がそれを認識していなければ、なじみのない表現によって話の流れを遮ってしまうだけです。「固定観念の間違いかな?」と受け取られる危険を冒してまで(つまり相手の理解を妨げてまで)「固定概念」を使うことにメリットはないと考えています。
(使用する場面や媒体によっては、流行語や造語に分類される表現も歓迎されます。たとえば自身のブログなどで、注釈をつけて用いるなら、意図が不足なく伝わって効果的かもしれません。)
「固定概念」の言い換え表現
- 固定観念…周囲の意見や状況によって変化することのない、凝り固まった考え
- 先入観…はじめて知ったことにもとづいて形成された、凝り固まった観念・見解
- 思い込み…深く信じこむこと、固く心に決めること
- 偏見…(ことに特定の集団や個人に対する)客観的な根拠のない偏った見方・決めつけ
- ステレオタイプ…多くの人に浸透している固定観念
- レッテル…ある人物やものごとについての一面的・断定的な評価
思いつく限り挙げてみました。これらに共通する点は以下の通りです。
- 「これはこういうもの」という決まりきった見方・考え方
- 根拠がない、または事実と異なる
- 容易に変えることができない
- それによって行動や発想が制限されてしまう
「固定概念」が「固定観念」に取って代わる日
「『固定概念』ではなく『固定観念』を使う」というのが現時点における筆者の方針ですが、そうはいっても「固定概念」をあまりにも頻繁に見聞きするので、「固定概念」が辞書に載る日もそう遠くはないかもしれないとも思っています。
「一所懸命」と「一生懸命」のパワーバランス(?)に近いものを感じます。